和の歩行人形 〜 ご縁の経緯












ある日(2005年9月)、塚人さんが画像掲示板に以下のような記事と画像を投稿くださいました。
記事の内容は勿論、挿入いただいた画像も大変興味深かったため、
塚人さんにご了承を得、投稿内容を全文転載させていただきます。

(文中『自由人形のページ』とはDoll Stuff内、自由人形ボディいろいろのページを指します。
『たっちゃん』のボディもそこで紹介しています)

*参考文献:図説日本の人形史(山田徳兵衛編、東京堂出版)




自由人形考察      by 塚人さん
参考文献:図説日本の人形史(山田徳兵衛編、東京堂出版

enlarge photo 自由人形のページ、拝見致しました。
手元にあればこそ分かる
構造の色々を見ることが出来て、
とっても興味深かったです。
このテーマは、
これからも是非研究を続けて下さいませ。
楽しみにしております(^^)

参考になるのではないかと思われる文献を、
少し貼らせて頂きますね。

これは、
昭和12年、吉徳発行の人形カタログです。
新しく生まれた人形として、
「立つ座るポーズが自由・ママー笛入り」の
『なかよし人形』が載っています。

見難いですが、体の構造はたっちゃんに似ているように見えます。

「手足には特殊な金属を使用して、どんなポーズもとれるものであった」
「昭和2年のアメリカへの答礼人形の経験をもとに、
胡粉の肌に樹脂加工を施して汚れを拭き取れる工夫も行われている」
「ただし戦時中の統制で製作不能となり、2、3年で姿を消した」

昭和15年以降、物価統制によって、素材の調達が出来なくなったそうです。
昭和12年〜15年の短い期間だけ製作された人形だったのですね。

さらに、
「軍国主義の影響により、
市松人形に限らず人形全体が影をひそめるようになっていった。
再び市松人形が造られるようになるのは、ようやく戦後の昭和22年頃からであった。」

以上のような事から推測しますと、
たっちゃんは戦前に作られたものの売ることが出来なくなった自由人形を、
戦争末期に『ほまれ人形』と改称して売られた人形だったのではないでしょうか。









自由人形考察 その2      by 塚人さん
参考文献:図説日本の人形史(山田徳兵衛編、東京堂出版

enlarge photo これは、
昭和14年、吉徳発行の人形カタログです。
『歩行人形』として、
手を引くとよちよち歩きをするお人形が載っています。
「数年前からの発売」とありますから、
『なかよし人形』と同じ頃の発売ですね。
「脚部にバネのようなものを仕掛けてあった」
「これも戦争で姿を消した」
とあります。

これなどは明らかに、
西洋人形のウォーキングメカからの発想のように思います。

上記のカタログも、このカタログも、
お値段を見ると…
『なかよし人形』が4円60銭〜7円
『歩行人形』が4円40銭

この年代、
白米10kgが3円25銭
教員初任給が50円
ですから、
これらのお人形達はそれほど高価ではなく、
やはり子供の遊び相手として売られていた人形だったようです。

それに対して、
光龍斎着付人形の値段の凄いこと!!
76円と96円
教員初任給の2倍近いです。
これは床の間に大切に飾られるお人形だったのですね。









、、、と、上記のような分かりやすく造詣の深い記事だったのです。
中でもわたしが興味深いと思ったのは「歩行人形」でした。
和人形は好きの一点で知識は皆無に近い穂積です。
『歩行人形は見たことも聞いたことも無かったです!』
、とレスさせていただきました。

するとレスのレスに、ゆかりさんが・・・
『歩行人形ですがうちに一人いますよ。
ばねが入っていて手を引くと足が交互に出ます。』

しかもお嫁入り先を探しておられるとのこと・・・

(!)

(!!)


(!!!)



『み・見せてください〜!』とお願いしたことは云うまでもありません。
そしてお写真を送っていただいたのが「蛍ちゃん」です。
即効でラブコールを送ったことも云うまでもありません。









こうしてはるばるアメリカへやって来てくれたのが蛍ちゃんです。





思えば不思議なご縁です。
まず塚人さんが自由、歩行人形についての記事を投稿してくださらなかったら、
そしてその記事を見たゆかりさんがちょうど歩行人形のお迎え先を
探しておられなかったら、
今後もわたしは歩行人形の存在すら知らなかったのではないかと思います。

ふとしたご縁からご縁が繋がって、蛍ちゃんが今ここにいるのだな〜と思うと、
ふわりとした幸運を感じます・・・











さて・・・





肝心の歩行動作は・・・・・・

動画でお見せできずに申し訳ありません・・・
技量が足りないもので・・・

赤ちゃんに「あんよ」の練習をさせますよね?
両手を引いてあげながらそっと・・・

まさにそんな感じなんです!
でも赤ちゃんのあんよよりはもっとずっとスムーズです。
手をほんの少し前に引いてあげるだけで
すい〜。すい〜。といった感じで歩き出します。

初めてのときはとってもびっくりしました。
まるで自分の意思で歩いているようで・・・
「どう?わたし 歩けるのよ。 さあ、もっと引っぱって」と・・・

健気にも市松さん同様腕と太ももが布で覆われており、
内部のからくりを覗くことができません。
上から触った感じでは、ゆかりさんの云われた通り、
腕には太いバネが入っているようです。
一体どんな構造で片足ずつ前に運んでいるのでしょうか。

膝を折り曲げることができないので お座りはできません。

お着物を脱いだ蛍ちゃんは意外にスレンダーです。





蛍ちゃんは身長60cm。

塚人さんの記事(その2)の画像を拡大してみると、
右隅に見事なおかっぱ頭の女の子が歩行人形の手を引いています。
写真の子は蛍ちゃんに比べるととても小さい印象です。

昭和10年代の市松の中でも
60cmの蛍ちゃんは大きいほうではないでしょうか。

右画像はサンセット蛍ちゃん。
お顔の感じも大正の子のような、
のんびり穏やかな表情です。
この子のお顔を見ていると、
何故かモディリアニの絵を連想していたのですが、
その謎が解けました。
白目が全然無いんです(笑)。
うちの市松さん、皆調べてみたのですが、
どんなに黒目勝ちな子でも、
他の子は必ず(少なくとも1ミリくらい)白い部分があります。




ゆかりさんが持たせてくれた蛍ちゃんのドレスです♪

「蛍ちゃん」というお名前も
ゆかりさんから受け継ぎました。

かわいらしく澄んだ印象の、
ぴったりのお名前だと思います。
文化人形やかレトロな感じの
かわいらしいアップリケ。
ゆかりさん、ありがとうございました〜。
お世話になってばかりです!








最後に塚人さんからおまけとしていただいた投稿もご紹介させていただきます。
塚人さん、ありがとうございました♪





自由人形考察 その3      by 塚人さん
参考文献:図説日本の人形史(山田徳兵衛編、東京堂出版

enlarge photo おまけに…
明治40年発行の三越呉服店の「時好」

明治40年(1907年)には既に、
『眠り人形』と称して
西洋のビスクドールが売られていました。
この前年からの販売とあります。
写真から見ると、
アーモンド・マルセルあたりでしょうか。

驚くのはそのお値段。
70銭〜4円までとあります。
白米10kgが1円56銭の時代ですが…
下に載っている豆市松の着せ替えセットのお値段と比べても、
さほど高価ではないのです。
十分、子供のおもちゃとして買えるお値段だったのですね。
ドイツの人形達がいかに安価で大量に輸出されていたかが分かります。

堅い話ばかりですみませんでした。
以上の資料はどれも吉徳11世山田徳兵衛氏の著書からです。